プリンス・エドワード島探検記 

クロスステッチと全然関係ないのですが・・・。
乙女の憧れ「赤毛のアン」の舞台になったカナダは東部のプリンス・エドワード島(以下PEI)に行って参りました〜!!
その探検記を少しばかり。

 


計画の浮上
1年半前の事。じぇるがクロスステッチと出会うより前の事。友人が仕事の関係でNYに居を構えました。
じぇるは元々の嗜好がカントリーよりヴィクトリアン、アメリカよりは断然ヨーロッパ派なので、アメリカという国にそれ程興味がなく、当時は勤勉な社会人をしていた事もあって「遊びにおいで」という彼女のお誘いも現実的に捉える事なく月日が流れて・・・。
その10ヶ月後、クロスステッチを知ったじぇるは急速にアメリカに憧れを抱き始めました。

そして半年ほど前。会社を辞める決心は固まっていたものの意思表明しづらく、勢いをつける為に先に背後を固めてしまおうと取り敢えず彼女の元に遊びに行く約束だけ取り付けました。
具体的にPEIに決めたのは、彼女の「カナダも近いし」という一言でした。
・・・が!!アメリカ基準では近いのかもしれないけど、日本の尺度じゃ遠かった。
貧乏な我々は飛行機でPEI入りする事が出来ず、高速バスとレンタカーを利用するという無謀な行動計画を立てたのでした。
 ※注・・・本来レンタカー利用は無謀ではない。むしろPEI内では移動の足として必須
      この計画を無謀にしているのは、ひとえに我々の運転技術なのであった。
      (バックできないし〜。高速乗った事ないし〜。右側通行だし〜。)


NY出発〜1日目(土曜日)ハリファックス
高速夜行バスにてメイン州入り。ここでレンタカーを借りる。何とマツダ(車名は忘れた)。
面白かったのはスピードメーターがマイルとキロメートルと両方目盛りが振ってあるの。さすが国境近く。(※注・・・アメリカはマイル、カナダはキロメートル)
衝撃は・・・。何とCDデッキしかついていない!!
快適なドライブを楽しむべく、事前にかなりの時間を費やしてお気に入りテープを作っていったというのにぃぃぃ。(MD?何ソレ?←ロートルな人)
日本でレンタカー借りたことないから分からないけど、これって今は標準なのぉ??
寂しくBGMなしでドライブする事になったのであった。

大学寮最初は緊張したけど、向こうの道って走りやすいの。はてしなくまっすぐだし。
そもそも、最高速度の設定自体が60〜75マイル(100〜120km位)だし、高速道路の概念が違うのか中央分離帯がなかったりどうみても一般道路じゃんよぉ、って感じで最初はびびりまくっていたけど、道幅はそれなりにあるしまっすぐだしですぐに慣れました。
100km/hでも遅いと感じるようになったりして・・・。(逆に、日本に帰ってからが心配だった。しっかり乱暴者になったのでありました。)

この日はひたすら高速を走り続けて、夜中にタイタニックの町、ハリファックスに到着。
お宿は大学寮。これがなかなか快適でした〜!!
バス・トイレこそ共同だったけど、アメニティグッズは揃っているし(シャンプー・歯磨きセットはないけど)食事もついているし普通のホテルとしての条件は満たしていました。で、安い。お勧め。

 経験則1.外国のホテルはスリッパを持参しよう!!
   部屋の中でも靴、の外国ではホテルにスリッパがない!!
   お風呂入った後に靴、は抵抗ありますねぇ・・・。

 経験則2.外国のホテルはシャンプー・歯磨きセットはないのが当然らしい。


2日目(日曜日)ハリファックス〜PEI入り
そもそも無理をしてハリファックス観光を日程に組み込んだのは、海洋博物館が見たかったから。(PEIまでの直線からは少し外れた所にあります)
教会の庭でハリファックスはタイタニック号の沈没現場に近いので引き上げに協力した町。
犠牲者のお墓もありました。そのタイタニック関連の展示があるという事で興味を持った海洋博物館。
しかーし、日曜日の午前中はお休み。さすがキリスト教国は敬虔。日曜日の午前中は教会に行かなければいけないらしい。

何故かミサの始まる前の教会の庭では、少年少女達がスコットランドの民族衣装に身をつつみバクパイプによる鼓笛隊(?)の練習をしていた。
友人の解説によると、そもそもハリファックスはスコットランドから入植したらしい。ふーん・・・。

 経験則3.最低でも観光する町(国)の歴史ぐらいは勉強していこう。
   言い訳としては日本史専攻だったんだも〜ん。
   とはいえ、歴史背景に知識がないと旅の感動も半減。
   簡単に、でいいから勉強してからいかないと勿体ない、と実感。

大砲海洋博物館の開館まで時間つぶしに、近くにある星形の要塞跡に行ってきました。
ハリファックスは軍事上も重要な地点だったそうです。ここで、何故か☆型を逆行してしまい入口が見つけられず・・・。
裏口のような所から入ってしまったのでありました。

ここ、五稜郭みたい〜(行ったことないけど)と思っていたら、姉妹都市提携しているとか。
友人が五稜郭に行った時に読んだような気がすると証言していましたが、残念ながらこちらでは記述無し。真偽は如何に???

中ではハリファックスの入植の歴史や大砲の構造等、興味深い展示だったのですが時間がなく駆け足で見る事に。残念。
ここではおじさん達がスコットランド衣装でバグパイプ抱えて行進していました。

兵営跡が兵器博物館になっていたけど、それぞれの部屋の入口に部屋番号の下に「15」とか「10」とか書いてある。定員かと思われたけど、それにしては部屋が狭い。
確認しようと近くで監視していた兵隊姿のお兄さんに声をかけた所、「何故、格子がついているかだろう?(言われてみれば窓に鉄格子がはまっている)。脱走防止の為さ」と聞いてもいないウンチクを語って、一人でウケている。本当なのだろうか・・・、とはてなマークだけが残ったのであった。

運良く大砲発射の実演に遭遇。(遠くから撮った写真を無理矢理大きくしたので分かりにくいです。ごめんなさい)
左上の白い服の人が解説役。いろいろと解説してくれていたけど、すごい音がするから耳をふさげと言われていた上に英語だったので、じぇるにはさっぱり分からなかったのでありました。
大砲(手前の黒っぽいの。右側が銃口)黒い制服の兵隊さん4人がかりで操作します。
・・・が、めちゃくちゃ人力・・・。いちばん左側の人は号令係で、号令に合わせてキビキビ動いていたけど「うーんしょっ」って感じで大砲を前に動かしたりしていて笑えた。
いつの時代の大砲だったのだろう???

お昼を軽くカフェでとったが、ガムシロップがない!!
何とアイスでも普通の砂糖を無理矢理溶かして使うそうな。
・・・。ノー・プロブレム・・・なのか?

 経験則4.甘党の人は夏場はガムシロップを持っていこう!!

タイタニックお待ちかねの海洋博物館。
ここも色々な展示がしてあるけど、時間が足りずタイタニックと軍船爆発事故に的を絞る。
タイタニック号から引き上げられた装飾品(やたら豪華)や、客室のランクによる待遇の違い(メニューもあった)なんかが展示してあって面白い。
当時の1等船客用のデッキチェアのレプリカがあって、これは実際に座ってもよかったけど、あまり座り心地良くない・・・。

 経験則5.博物館・美術館入場時に渡されるバッジ・シールは胸につけよう。

カナダでもアメリカでも、入場券を買うとバッジかシールが渡されます。
じぇるは最初、記念バッジと理解してしまい込んでいたら、要所要所の警備員がしつこく「入場券を見せろ」と言ってくる。(ようだ。)
どうやら、入館の証明として胸にシールかバッジをつけるのが一般的みたい。再入場とかできて便利・・・かな?
でも、そのまま外すのを忘れている人をたくさん見たぞ〜。

この日は再びひたすら高速を走ってフェリーでPEIに渡る。
青い海。赤い大地。離れゆくノヴァスコシヤも近づくPEIもそして海もひたすら美しい。
すごく大きなフェリーなので船内を探検するのも忙しい。
・・・が、船内ではゲーム(ゲームセンターにあるやつ)に興じる人々・・・。
ジモティにとってはこの美しさも日常なのね。

PEIに入ってからも、キャベンディッシュ(アンの村アヴォンリーのモデルになった村)近くのモーテルに向けて結構な距離がある。
暗くなる前にホテルに着きたい。
ここはPEI一大きな町シャーロットタウン・・・のどう見ても住宅街???
そう、しっかり迷子になったのでありました。
友人が近くのお店に道を聞きに行ってくれている間、じぇるは一人車の中で待っていました。

1人目。タイヤの音もけたたましくUターン。じぇるの車の隣まで引き返してきて止まる。
2人目。じぇるの車を追い越した辺りで急停車。車を降りてきて近づいてくる。
3人目。クラクションを鳴らしながら近づいてきて、じぇるの車の隣まできて止まる。

どうやら、皆「大丈夫か?」と言ってくれている。らしい。(※注・・・じぇるは英語はさっぱり???。友人はペラペラ。今回は彼女あっての旅行なのであった)
「OK。OK。サンキュー」を連発する(どう見てもOKじゃないのだが)。何て親切なの!!!
それにしても友人の帰りが遅い。その間、彼女の方は親切なおじいちゃんに同じ説明を3度もしてもらっていたそうな。
親切なり、PEI人。

こうしてこの日もボロボロになってお宿にたどり着き、深い深い眠りに落ちたのでありました。

                            〜その2につづく〜

 

2000.07.31 up / 2004.06再録
再録に辺り、フォームの体裁だけ整えました。
今読むと情報が古かったり、何より自分自身の幼い文章が恥ずかしかったりしますが、旅日記という性質上、当時のままのレポの方が良いかなーと敢えて手は加えていません。
広いお心でお読み下さいませ…。




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